(前回の話 わたしを語る(1)大学生が観光局立ち上げはこちらから)
大学4年のときにご縁をいただいて就職(内定じゃなくて)した外国政府観光局。学校の授業と掛け持ちで働く日々。いざ働き始めると、政府観光局ではなく、自治体の立ち上げをしてそこで働いてもらうと言い渡されました・・・
大学4年の11月に事務所開設パーティやマスコミ記者会見が終わったあとは、仕事の方は落ち着いていましたが学校のゼミで忙しくしていました。わたしのゼミのI教授は「大学は勉強するところ、出席や課題をしなければ容赦なく落とす」先生でした。
学校の課題が終わらずあせっているわたしに「学校の課題をしても怒られないと思うよ」と政府観光局のお姉さんがアドバイスしてくれ、ゼミ論の執筆などを進めました。(日本の職場では考えられないですよね)
面倒見のよい友人の協力もあり、なんとかゼミ論を終わらせ大学を卒業することができました。その後、卒業するまでの間は事務所で韓国語を独学したりして時間を過ごしました。3月には無事4年間で大学を卒業することができ、フルタイムで働く生活が始まりました。
わたしが所属していた自治体Gは当時日本では誰も知りませんでした。韓国に行ったことのあるわたしも知らなかったところです。さてどうしよう、と思いました。
面接時は「韓国語は必要ない」との話でしたが、ふたを開けてみると本国から来るFAXやメールはほとんど韓国語でした。また本国に質問事項がある場合にも、日本語がわかるのは直属の上司1人だけで、上司がいないときは韓国語で質問せねばならない状況でした。
とりあえず仕事帰りに韓国語を習いに行くことにしました。もともと語学に興味があったことと、必要に駆られたことも後押しし、結果的にときに韓国人に間違えられるほどの語学力にまで伸ばすことができました。
そうこうしているうちに新聞社の取材が入りました。事務所開設パーティ以来のマスコミ対応だったと思います。地元主要紙で発行部数が100万部を越える新聞の1面「ひと」という欄でした。
取材では大学時代の過ごし方(アジアに興味があり、大学図書館のアジア文化関連の本は全て読んだ)や留学中のイベントで日本文化を知らせるために踊った日本舞踊のことを話しました。
後日、取材してくださったK記者が「韓国と縁のなかった、むしろアメリカ留学帰りの人が韓国関係の仕事をするようになったのは、これまでになかった新しい流れだと思い、記事を書いた」と思いを伝えてくれました。
わたしは英語や中国語(大学時代に2年間学びました)をメインに学習していたので、韓国関連の仕事をしている他の方とは明らかに違う、異色の存在だったようです。
「新卒生で一人職員は珍しい」と 女性向けフリーペーパーの取材を受けました |
これからどうやって観光誘致していこうかと考えつつも、ときおり本国から言われる仕事をこなすのんびりとした日々。そのときは猛烈に忙しい日が来るとは夢にも思っていませんでした。
Lesson Learned: 一人でできることは限られている。周りの人の協力はたくさんもらって感謝すること。
わたしを語る(3)につづきます♪
0 件のコメント:
コメントを投稿